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御幸浜です
北港の夕暮れ
そして、海が荒れると、すべての往来がなくなり、
時々、水産センターの興洋が荷物を運んだりもしていました。
そして、興洋が帰ってくると北港の様子を話してくれたものでした。
それは、孤島状態の場所で戦う家族の話でした。

今回久しぶりに北港へ行き小さな堤防を見ると、そのころの話がよみがえって胸が詰まりました。
海の荒れた日、息子さんが魚を釣っていた、(もちろん食料です)堤防です。
家族以外話す相手もいないところで、どんな日々があったのでしょう。

その方達は今はもう島を去ってしまいました。
島にかけた夢と、戦いと挫折と、悔しさと後悔とすべてが時の彼方に去って、知っている人も少なくなってしまったけれど、なんだか胸が痛くなりました。
下の写真は、縦貫道の終点北港です。
ここには、返還後数年一家族が住んでいました。
戦前住んでいて、返還後夢をかけて戻ってきた家族でした。
そのころは、縦貫道路もなく、ここに住むのはどんなに苦労があったことでしょう。
父・母間の定期連絡船もなく、東京都のチャーター船が二見港と沖港との間を往復しているだけの頃でした。
桑の木山です。
夕暮れを想わせる、鬱蒼とした樹木。
下は、標識の所をすぐ入ったところに倒れている巨大な木。
少し前まで、どの観光パンフレットにも載っていた、こぶの木です。
枯れて倒れてしまいました。
白く見えるのは、キノコです。
黄色い鮮やかなキノコが沢山付いていました。
道は、集落を過ぎ、フルーツランドを越えたあたりから極端に狭まります。
返還頃の父島夜明け道路を思い出させる道です。
雰囲気はあるけれど、対向車が来たらちょっと怖いなぁ・・

午後の日射しの中、宿に荷物を預けたら、島の縦断道を北に向かいます。

   


                                    
                                  12月6日号

                           島を北へ縦断、北港、桑の木山へ